海外セレブから学ぶ テストには出ない英語☆おもしろスラングリッシュ

試験には出ないスラングや、いまどきの英語をおもしろ楽しくご紹介。 ハリウッドのゴシップニュース・芸能ネタ・海外セレブから、生きた英語を学んじゃおう♪


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18ものグラミー賞を獲得している『ソウルの女王』こと、アレサ・フランクリン(76)が悲しいお知らせをひっさげてご登場 

先週から報道されていた、アレサ・フランクリンの危篤のニュース。

病名は、2010年から闘病中だった膵臓がん。

そして木曜日、デトロイトの自宅にて、息を引きとったアレサ・フランクリン。

本日はそんなソウルの女王の、波乱に満ちた生涯を振り返ってみましょう 

メンフィスにて、5人兄弟の1人として生まれたアレサ・フランクリン。

家族とともにデトロイトへ引っ越したのはアレサが4才の時。

音楽の才能は飛びぬけており、幼い頃から父親の教会のゴスペルシンガーとして活躍、

音楽を1度きけば、楽譜なしでピアノ弾けるほどの才能を、7才にして既に保有していたのは有名です。

アレサが6才の時に、母親が、夫(アレサの父親)の女癖の悪さにしびれを切らし、家を出ていきます。

その後アレサが9才に時に、その実母が亡くなり、その後は父親のガールフレンドたちに育てられていきます。

父親の表向きの顔は、バプティスト派の牧師、つまり聖職者 

マーティン・ルーサー・キング牧師とも親しかった父。

しかし裏の顔は女好きで、自分の教会にて、アルコールやマリファナを用いた乱交パーティーをよく開いており、

娘のアレサも、かなり若い頃から、性的に成熟していたといわれております。

アレサは12才で最初の妊娠、13才で出産。

世間では、アレサの実の父親が、アレサの子供の父親なのではないかと噂されておりましたが、

実際、お子の父親は、アレサの学校の友人。

そして15才までに、2児の母となったわけですが、2番目のお子の父親はまた別の男性。

アレサはかなり若い頃から、アルコール依存症だったとして知られておりますが、その背景には、

こんな悲しく、過酷な生い立ちがあったんですな… 

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18才で家とデトロイトを出て、ニューヨークへ渡ったアレサは、アトランティック・レコードと契約。

ミュージックキャリアは順調に進んでいた表向きの顔とは別に、

私生活では19才の時に、デトロイトのポン引き(売春の斡旋業者)として成功していた、テッド・ホワイトと結婚。

アレサの初期のキャリアは、テッドの売春斡旋業の収入にて、支えられていたといわれております。

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んが、テッド・ホワイトのアレサに対する暴力は有名で、

その荒れ果てた結婚生活の苦痛から逃れるために、ますますアルコールに依存していき、

1967年のコンサートでは、酒に酔ったアレサがステージから転落し、腕を骨折したことも。

本人は、照明がまぶしく、足元が見えずに転倒したと説明しておりましたが…

1969年にテッド・ホワイトと離婚した後は、アルコールの過剰摂取はおさまっていたものの、過食による肥満にて、体重の増減が激しかったアレサ。

1978年に俳優のグリン・ターマンと再婚したものの、1984年にふたたび離婚。

晩年は、肥満と精神面の問題にて、悩まされてきたアレサ・フランクリン。

ちなみに大の飛行機嫌いで、日本への来日も、飛行機嫌いのせいで実現することはなく…

もしアレサが飛行機嫌いでなければ、彼女の知名度と人気とセールスは、もっと世界的に広まっていたであろうと言われております。

なかなか波乱万丈な人生でありましたが、誰もが認めるシンガーとしての実力と才能に、合掌!

マジメ過ぎて、スラング英語が思いつかない本日の英単語は upbringing。

生い立ち、です。


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